『nyx』第2号第一特集「ドイツ観念論と理性の復権」 趣旨文

 かつて理性の力が信じられた時代があった。人間は、理性を通じてあらゆる社会的な不合理を解消し、あるいは自然の脅威を全面的に取り除くことができるというように。しかしながら二度の世界大戦、社会的不平等の拡大や自然環境の破壊を通じて、理性に対する反省がもっぱらとなった。そして万人が公平に与り、あらゆるものを調和的に結びつけることが期待された理性が、かえってあらたな抑圧を必然的に産み出すことが指摘され、理性が抑圧してきた無意識や、物質的なものの領域の力が再評価されることにもなった。
 かぎりない理性の力を謳歌する、そしてまさにそのゆえに、もはや過去のものとなった思想の代表格とも考えられてきたのが、いわゆる「ドイツ観念論」であろう。カントによってその道を拓かれ、後期シェリングへと至るこの思想潮流は、十八・九世紀ドイツを舞台として、現実のさまざまな社会的課題と切り結びつつ練り上げられていった一方で、きわめて思弁的に構成された理性の体系という形をとることになった。「差異」や「他者」といった問題系を重視する現代思想は、このような思考様式をしばしば批判のターゲットとしてきた。体系的思考が依拠する「理性」こそが、異質なものを排除・抹殺し、他者を暴力的に同一化するような能力であると考えられてきたからである。しかしこのような見方は、理性を、そして同一性をあまりにも矮小化しているといわざるをえない。
 従来「ドイツ観念論」として一括されてきた思想群が、それ自身単線的な発展の物語に回収されえない、多様な問題意識と思想潮流の交錯する場であったことは、ますます緻密さを増す歴史的研究によってすでにあきらかとなっている。その多彩な論点のうちには、理性や体系的思考に対する根本的な問い直しも含まれる。近年は、フランクフルト学派やフランス現代思想、分析哲学といった現代的な諸潮流の成果を存分に摂取しつつ、ドイツ観念論の有効性を検証する読解の試み、さらにはアクチュアルな問題への接続を模索する応用倫理学的研究も大きな成果を挙げている。とはいえ本特集は、現代的状況におけるドイツ観念論の直接的な有効性を性急に探求するような試みとは、さしあたり一線を画す。いわゆるドイツ観念論を特徴づける多様な問題意識は、たしかに時代を隔てたわれわれにとってもなお有益な示唆を豊富に含んでいるが、西洋の伝統的思考の諸動機が十八・九世紀ドイツという特殊な場を得ることで独特の形で結晶化したものである。したがってわれわれは、その固有の歴史的磁場におけるテクストの内在的理解から出発しなければならない。
 理性や同一性を排除するところでは、また差異や他者にも出会うことができない。本来的な意味における「差異」や「他者」は、理性や同一性について徹底的に思考したその極限においてよりほかには現れえないであろうからである。「一と多」、「同一性と差異」をめぐる存在論的思考の系譜はこのことを主題化してきたし、この思想史的水脈の一翼を担うドイツ観念論もまたそうであった。差異や他者をめぐる思考がますます切実なものとなってきている現代において、この問題にさまざまな側面から斬り込んだドイツ観念論の思想の数々が、より徹底的に考え抜くためのあらたな道筋を提示してくれることであろう。