第一特集 「〈エコノミー〉概念の思想史」趣旨文
私達の生が「エコノミー」――それが飲み食いすることであれ、生産・分配・交換・消費を分肢とする総体であれ――によって支えられているものであるかぎり、私達の生とその条件を根源的に思考しようとするとき、「エコノミー」が最も重要な問題であることは疑いを容れない。
「エコノミー」という問題はさしあたり、私達の日常生活と密接に関わる「経済」の次元で問われうる。現在、経済のグローバル化によって、圧倒的な資本の力が人々の生活および生命をすみずみまで管理・統制し、翻弄している。そうした資本の威力は、格差社会・ブラック企業・教育改革といった具体的な社会問題として、私達の目の前に現出している。もちろん、これらの経済的な問題に応えることも、現代を生きる者にとって重要な課題であることは、言を俟たないであろう。
とはいえ、「エコノミー」は単に「経済」を意味するだけではない。この概念は、西洋思想史において、非常に多様な意味を担わされ、各時代の思想・哲学において重要な役割を果たしてきた。ごく概略的にいえば、①エコノミーとはまず、語源的な意味としては、ギリシャ語の「家政」(oikonomia)に由来する。②ストア派にあって、宇宙の「統御」へと拡大されたこの語は、③キリスト教神学へと移入され、神による「救済計画」を意味するようになった。ラテン語では、「配置・配剤」(dispositio, dispensatio)と訳され、④神の「世界統治」を意味すると同時に、⑤修辞学の伝統では、題材の「配列」をも意味した。ルネッサンス以降、復権した「エコノミー」(oeconomie)は、⑥百科全書などで有機的組織の「秩序」となり、⑦やがて近代的な「経済(学)」(political economy)へと収斂していく。このように、「エコノミー」は、西洋思想史を貫く重要な鍵概念のひとつであると言ってよい。
また、「エコノミー」は、現代思想の最前線においても、しばしば注目されてきた概念である。生産に限定された「限定エコノミー」と贈与・消尽を組み込んだ「一般エコノミー」というバタイユの問題系を継承して、デリダは、一方的な贈与に対する循環としての「エコノミー」の問題を思考した。さらに、近年では、アガンベンが統治と例外状態の一致する地点に「オイコノミア」という理念を見出し、そこから自らの政治神学的思想を展開している。こうした情況を前にして、単に「エコノミー」を自明のものとして議論に乗じるのではなく、ではそもそも「エコノミー」とは一体何かが、あらためて問われなければならないだろう。
このような問題意識の下、本特集では、それぞれの専門領域において「エコノミー」という概念が果たしている思想的・哲学的意味を根源的に明らかにすることで、この概念が有する歴史的多層性とそこで開かれる問題の射程の長さを示したい。これによって、現在の私達の思考を規定している枠組みに新たな視線が投げかけられると同時に、生の条件である「エコノミー」を別様に思考する可能性が見いだされるはずである。
佐々木雄大