第二特集「現代ラカン派の理論展開」 趣旨文

 いまどきラカンを? そのように思われるかもしれない。
 かつて本邦では、ラカンは構造主義の潮流に位置する特異な精神分析家として輸入された。その際、彼の思想は「構造主義のリミット」(浅田彰)として扱われていた。つまり、ラカンは、レヴィ=ストロースのように構造を静的な閉域としてみなすのではなく、構造の生成過程を明らかにし、構造と構造の外部の動的な相互作用を捉えることを可能にする思想として導入されたのである。しかし、その後本邦ではラカンの思想は、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリによって、あるいはジャック・デリダによって乗り越えられるべきものであると捉えられるようになった。その流れと軌を一にするように、臨床の現場にも、とりわけ精神病理学という領域においてラカンは導入されてきた。が、エヴィデンス至上主義が席巻する昨今、ラカン的臨床の声は往時の勢いを失った。かつての「ラカン派」はひとつの時代の役目を終えた、そう言ってもよいのかもしれない。
 しかし、現在、本邦ではラカン理論の刷新をめざす論者が次々と登場している。この潮流に属する論者には、多くの共通点がある。精神医学、心理臨床、精神分析などの臨床実践を基盤としながらも、現代における思想としてのラカン理論にも多大な目配せを行っていること。そして、いくつかの例外をのぞいて本邦ではこの二〇年近くまともに「輸入」されることすらなかったフランス語圏の主流のラカン派(とりわけ、ジャック=アラン・ミレールの主導するフロイトの大義派やシャルル・メルマンの主導する国際ラカン協会)における理論と実践の大きな地殻変動のインパクトを受け止め、それを本邦の思想と臨床の現場において展開しようとしていること。このような共通点があげられるだろう。
 本特集では、まず、現代のラカン派における理論と実践の大幅な更新を示す、マリー=エレーヌ・ブルース氏の講演を紹介し、次に現代のセクシュアリティと倒錯の問題にとりくむ河野一紀氏の論考、普通精神病という新しいシニフィアンの登場のインパクトを精神病理学に注入しようとする小林芳樹氏の論考が続く。そして、筆者によるスキゾフレニーと自閉症についての導入的紹介を挟んだ後に、ラカン派における自閉症論の展開を平易な言葉で、しかし豊富な含蓄とともに提示する向井雅明氏の論考が続く。
 本特集を読み終えたとき、これまで知られていた「ラカン派」とは異なる、新しい精神分析の地平が立ち上がっていることに、読者諸兄は気づかれることだろう。それを、本特集では「現代ラカン派」と名付ける。
 
松本卓也