創刊の辞
真理は真理であるかぎり、永遠的なものでなければならない。しかし他方、その探究および伝達が人間の営みであるかぎり、歴史的なものであるよりほかない。先人たちの学術研究の成果は、数千年の長きにわたって繰り返し学び直され、時代に応じて利用されながら、現在へと脈々と受け継がれてきた。
近年の学問的研究はより実学的有用性と具体的成果が求められるようになってきた。こうした求めに応じ、論文を量産すること、大衆へ向けたアウトリーチ活動を積極的に行うこと、そして、アクチュアルな社会問題を扱うことも、現状に対するひとつの応答であるだろう。
しかし、先人たちの思想は、必ずしもその時代のみを射程とし、当座の有用性だけを追求したものではない。ソクラテスはその時代において有用とされただろうか。思想は、過去から未来へと学問の営みが受け継がれるなかで、数多の失敗を重ねつつ、人類に様々な益をもたらしてきた。だからこそ、短期的な成果追求が重視される現在において、あえて古典的思考を継承することを目的とした「思想のための場」が、新たに生まれるべきではないか。
そうした思想の場の一翼を担ってきた思想誌という媒体もまた、学術研究と同様、情勢や市場から短期的な利益・効用ばかりが求められがちであり、長い射程をもった思考を積極的に展開する機会を設けることが難しい状況である。しかし、そうした論稿はつねに潜在的に求められており、現在の読者に対して古典を開くだけでなく、未来の読者に対してもまた、必要とされるはずである。有用性とは別の観点から編集された媒体が必要なのではないか。
このような理念の下で創刊された思想誌、それが『nyx』である。古典の山に分け入り、複雑な概念を解きほぐすプロセスは、いたずらに時間と労力を要する非現実的で荒唐無稽な作業に映るかもしれない。また、歴史的な思想家とともに概念を思考することは決して容易な途ではない。しかし、一見の新奇性や同時代的理解を求める人々に処方箋を提示することだけが思想の役割ではない。答えが出ないことを恐れず、古典を手に取り、問いを発し、思考すること。また、紙幅という限りのある器に多様な論稿を凝縮し、その凝縮された中から次の議論へと無限に広がる文脈の連なりを表現すること。『nyx』は、そうした基本作業のための開かれたプラットフォームとして、分野横断的な幅広い議論をしていきたい。
様々な論稿が思想に再び力を与えることで、歴史の夜の深い闇の中から浮かび上がる一筋の光が、学問と世界における困難な情況への道標となることを願って。